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住宅建築2000年7月号 デビュー記事

20年前のデビュー記事を読む。
20年後の今、本を出すことに。
崩れていないと思う。


住宅建築2000年7月号 記事

生活と建物をささえる「建築の骨格」・佐藤重徳

民家を再生してまで手に入れようとしている人達がいる。大変な手間、費用、時間がかかる。相当なエネルギーと強い意志が必要である。それでも手に入れたいのである。それだけ民家は建物として、住居として大きな魅力があるのだろう。
一見民家と縁がうすい現代の住宅を設計している私も、その魅力に取り憑かれている。よく民家を見に行く。旅先でも民家園などの所在を確かめ、巡礼者のごとく行くことになる。
民家を訪ねるとまずその姿に心打たれてしまう。大地と一体になり大きく美しい屋根を持つ姿に・・・。一歩、建物の中に入ると、なにか大きなものにつつまれ、守られているように感じ、たいへん居心地がよい。そのなにかとは、なんだろうか。それがわかりたくて頻繁に民家に通ったのかもしれない。そしてそれは木のぬくもりとか、煤けた匂いというものでなく、家をつつむその骨格ではないかと思っている。その骨格が生活をつつみ込んでいる。また、私が骨格の存在を強く意識できた建物は単純明解な小屋組で平面も同様、単純なものであった。もちろんそのような建物はたくさんあると思うが、民家という建物が人の住まいであるということで一層その存在に意味があると思う。

厳しい敷地条件と法的条件、現実的なコスト、そしてクライアントの希望や夢を対象に設計することになるが、そのような条件下でも建物の存在を意識できる骨格を与えることも重要なことと考えている。建物に骨格を与える作業は単に構造の整合を考えるのではない。それは生活を見直す作業であり建物として「記憶の場所」をつくる作業であると思う。生活と建物を包括してその骨格が存在するのでなくてはならない。









by sato-sigenori | 2020-04-16 16:10 | 建築 | Comments(0)
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